大沢隧道

2004/01/01
2004/11/21 再訪

いわき市の隧道
大沢地区へ抜ける隧道。
徒歩で一人では入りたくない雰囲気であった。
しかし、この辺の小学生はこの隧道を通学するらしい。

 大沢地区側の入り口。 入ると下りになる。

 素掘りコンクリート吹き付け。 照明も暗く不気味。

 出口。総延長は100mほど。

大沢地区に大沢隧道開鑿の碑が仙台石に刻まれている。
下にその碑文を記す。

 従三位勲二等医学博士高木友枝閣下書

 本道路の開鑿は、明治一九年高木直枝翁が自費を投じて山頂に道を開きたるに始まる。

 同三六年有志相謀り、更に十数尺を掘り下げたりしも、交通未だ完きを得ざりき。

 爾来三〇余歳を経て昭和十三年に至り、又本道開発の議起る。

 蓋し其●尓至りし所以にて、渡辺村は曩に農林省より経済更生村に指定せられ、次に特別助成村となり、本事業に対し助成金壱千百六十六円を交付せられたるに因る。

 而して大字松小屋に工費四千円、奉仕人夫五百余人を出して昭和一三年五月工を起し、同一四年七月竣工せり。隧道の延長百米、道路延長五七〇米にして、幅員各三米なり。

 由来大字松小屋の大沢地内に於ても戸数は僅かに七戸に過ぎざるも、百余町歩の山林を共有するを以て、其の開発は主として本道路の交通に頼らざる可からず、為を以て松小屋は先人の意志を紹ぎ、一致協力此の事業を完成せり。

 真に昭和聖代の美事と謂うべきなり。

 依って其の事業の梗概を右に勒し後世に伝うと云う爾。

 昭和一四年七月  大字松小屋


●は「玄玄」という漢字。

渡辺町史より



再訪

同好の方達により、にわかに脚光を浴びつつある大沢隧道に再び訪れてみた。(041121)

 大沢地区側にある大沢隧道開鑿の碑。

 開鑿の碑から隧道側を見る。 ここから隧道まで150mくらい。

 碑文によると隧道の上に、昔の道があるらしい。

 隧道入り口。 大沢側から下りになっている。

 今日は日光が入り込んで明るい。 気温が高いためか、隧道内を蜂が飛び回っていた。

 反対の松小屋側。 路面も隧道入口の上部もかなり濡れている。

 松小屋側から見る。 ここから隧道入口まで50m。

BACK HOME